お寺の宿坊に泊まって初めての坐禅体験

24歳のある日、私は初めてお寺の宿坊で坐禅を体験しました。
憧れていた坐禅、でも全然集中できず、おしゃべりしてましたー。
でもその体験が、その後、仏教との出会いの始まりだったのです。
坐禅したいと思ったワケ
私は実家がザ・昭和な日本家屋。木造で畳に障子、縁側、冬はこたつとストーブそんなにお家で育ちました。
その影響もあるのでしょうか? 大人になってからはお寺が好きでした。
お寺の歴史ある木造の建物を見ながら、お寺には仏教には長い歴史があり、そこには真実がありそうと感じていました。
そしていつしか坐禅に憧れるようになりました。
坐禅って、なんか壁に座って一見暗い感じがするけどなんかちょっとやってみたい。そんなふうに思っていました。
しかし壁に向かって坐るのはいくらなんでも暗すぎるよな。
ネットで検索すると都内にもいくつかの坐禅会があるようでしたが、自分が壁に向かって坐禅をするという暗いイメージのメンバーになるのは気が引けました。。
そこで私は、姉に「お寺に泊まって精進料理を食べて体験坐禅ができる旅行」に行こうと提案しました。
お寺に1泊して坐禅するなら恥ずかしくない、そう思いました。
お寺での一夜
東京から1時間、さらにバスで1時間ほど山の中に入った中腹にある小さな禅寺の宿坊。
お寺に着いたらまずお茶をして、夕食の典座料理を頂きました。自然から採りましたという感じで動物(肉や魚)は食べず、野菜が主だったけど味付けがとてもよく美味しかったです。
和食とはこういう自然のものから工夫して時間をかけて形ができたんだといつも思います。
今回の旅行の目玉である「坐禅」は、朝6時からということもあり早めに寝床に入ったけど普段からよく眠っているためになかなか眠りに入れませんでした。
当時は都内の片隅で一人暮らしだったので、自然と接する時間がなく、お寺では周りが自然に囲まれた中でゆったりとした気持ちになりました。
朝の坐禅
朝は6時、少し緊張しながらお坊さんのお経を横で聞き、お経って何かいいな~と思いつつ坐禅に入りました。
まず足の組み方、背筋、目線を教えていただき、外を向いて坐禅が始まりましたがお坊さんはすぐに奥へ引っ込んでしまいました。
全然集中できない💨
坐るという行為はヒマだったので、坐ったまま姉とおしゃべりをしたりあっちむいてホイをして遊んでいました。
そんな油断しているすきに、お坊さんが戻って来てしまった!!
ゲッ戻って来た!!
坐禅しているふりをしたけど遊んでいるのがバレてしまったらしく「私たちが坐禅さぼってたからあのお坊さん怒ってたよ」と姉が後で言っていました。
お寺に坐禅しに来た人は、普通ちゃんと坐禅するんだろうか? あそこまで露骨に坐禅をさぼる人間もいないだろう。
その後、お坊さんも私たちの後ろで坐禅をし、その間はもちろんちゃんと坐禅をしました。
警策
警策で1回肩を叩いてもらいました。
物差しみたいなものかと思ったけどそうでもなく、あれは思ったより痛いデス。もちろん叩く側の力の入れ具合にもよるとは思うのですが。
警策は、太く重い木の棒でズシリとしていて叩いた後も痛い~と痛さが残るくらい痛かったです。
警策は励ましととらえるようにとおっしゃっていました。
気配がない・・・
その後も続く坐禅の中で私はフッときになってきました。お坊さんの気配を感じない。。お坊さんは確かに私たちの後ろに座っている、だってさっき入ってきて坐ったのだから。しかし気配がないのだ。コレは気を消しているのかもしれない。
私は後ろが気になって仕方がありませんでした。でも後ろを振り向いたことがバレるのも恥ずかしい。。でもお坊さんは目を閉じている可能性だってあるじゃないか寝てるかもしれないじゃん。気になる方が勝ってしまい私は後ろを振り向いてしまったのです!!
あっ
お坊さんも気が付いてしまった、恥ずかしい😢。その後は笑いを抑えながら坐禅しました。やっと計40分の坐禅が終わり座禅から解放されました。
なんでさっき振り向いたの?どうして?
いや、なんか気になっちゃって
まだかなぁと思って?
目がきょろきょろしていて落ち着きがない=集中していない。今まで
大変な思いとかしたことないんでしょう。
私は内心こう思いました。
若い人ってだけでなんで世間は、楽をして生きてるって思うんだろか。
私の人生こんなに大変なのに私のことなんて全然知らないのになんで分かったようなこと言うんだろう。
むしろ学校卒業して会社員になり、先に会社員になった大人の人達に対して、「大人ってこんなレレベルだったの!?」ということ。
ほとんどの人は、与えられた答えに従いトライ&エラーの無い人生を生きてきた大人が大半だったということ。
スポーツとかやってた?
いややってません。
辛抱強さが足りないと思われたのでしょうか。
読経
最後に一緒にお経を唱えました。おなかから声を出すこと、そうすると元気も出てくると。お経を読むのは結構楽しかったです。
ためになるお話
お坊さんは私たち姉妹にイロイロな話をしてくれました。
食事について
食べ物は作るのに大変な労力と時間がかかっています。そのことを考えて頂くこと、また自分がそれを食する価値があるかどうか?
ドキッ!!
当時24歳の私は都内大手企業の会社員として働いていました。
世間的には働いていることにはなっていましたが、私にとっては会社は惰性の日々でしかありませんでした。
簡単な事務作業の繰り返し。しかも仕事があればいい方で異常にヒマな職場でネットをして暇つぶししていました。周りの同僚も似たような感じでした。
会社には意欲が持てる仕事もなければ、優秀な人材もおらず、やってもやらなくても給料が同じなのもあり全然やる気がありませんでした。
永平寺での修行話
お坊さんは永平寺での雲水時代の修行話を当時のアルバムを開いてコメントして話してくれました。
修業とは言葉で伝えられないものなんだろう。実際にやってみないと分からないものだろうな。
お坊さんは、永平寺の修行時代がすごく大変だったんだと思う。だからそんな苦労と比較して、「全然大変な思いとかしたことないんでしょう」と言ったんだと思います。
でも、私は自分の人生すごく大変なんだよ!!
坐禅とは
ずっと座っているのはつらいんですよね。そこに座る。人生につらいことはいっぱいある。その中に座禅を組み坐る。自分の足で立って生きていくということをおっしゃっていました。
一緒に頑張りましょう。
とおっしゃってくださいました。
初めての坐禅の効果
初めての坐禅はまったく集中できず、おしゃべりやあっちむいてホイをして遊ぶという時間で半分は過ごし、多分ちゃんと坐禅したのは20分もないと思います。
しかし坐禅の効果は翌日の会社で現れました。私は当時つまらない会社生活にイライラしていました。周囲との人間関係も良くありませんでした。
でも翌日会社に行ったら、いつもみたくイライラせずに、気持ちが落ち着いていたんですね。そして周囲へもソフトに接することができました。
坐禅の効用を感じた私は、その後も自分で坐禅を続けていくことになるのです。
