「毒になる親」5つのチェックリスト

アダルトチルドレンの名著「毒になる親」。この本の中には親との関係を確認するチェックリストがあります。
10年以上前「毒になる親」チェックリストで、父親との関係を調べました。その時は、まだ父親との関係を調べ始めたばかりで、抵抗しているつもりがいかに父親の影響が深く残っているかを痛感しました。要は父親に抵抗してる=父親を強く意識しているということでしたから。
今回はそのチェックリストを使って、改めて自分と母との関係を確認してみました。
チェックリスト✅
「毒になる親」には5つのチェックリストがあります。
チェックリストNO1
「毒になる親」の中でP13~P16の中にある以下3つの項目のチェックリストをやってみました。
(1)あなたが子供だった時 8問
(2)大人としてのあなたは 10問
(3)現在のあなたと親の関係 8問
合計26問あり22問がイエスでした。(1/3以上がイエスだと要注意だとか)
自立しているつもりでも関係を壊さないように、40代後半になった今でも母親に気を使って生きてきたんだなと痛感しました。
チェックリストNO2
「毒になる親」の本の中でP208~P209の中にある以下項目のチェックリストをやってみました。
(1)親との関係における私の考え 16問
合計16問あり11問がイエスでした。(1/3以上がイエスだと要注意だとか)
母の感情の浮き沈みは私の言動次第だったように思います。
しかし私には全く関心がなく、私は母にとって自分が興味ない存在であることを知るのが怖くて関係を維持してきた、そんな感じです。
チェックリストNO3
「毒になる親」の本の中でP213~P215の中にある以下項目のチェックリストをやってみました。
(1)親との関係で私が感じる感情(全31問)
合計31問あり25問がイエスでした。(1/3以上がイエスだと要注意だとか)
家庭内が以下3つの雰囲気で満たされていました。
- 親の感情が不安定だったり、共感力が乏しかった
- 子どもが「親の顔色」を読まないと、生きづらい家庭環境だった
- 子ども側が「自分のニーズを抑え込む」ことで安定を保っていた
その結果私はこう思っていました。
「親の期待に応えれば、自分はここにいてもいいと思える」
「役に立てば、私は愛されるに値する子どもになれる」
「逆らえば、愛されなくなる(=見捨てられる)という恐れ」
大人になっても「相手の期待に応える=安全」と刷り込まれ、無意識に相手のニーズを先読みしてしまうクセがついているんだと思います。
チェックリストNO4
「毒になる親」の本の中でP218~P219の中にある以下項目のチェックリストをやってみました。
親との関係における私の行動パターン 全16問
・服従のパターン
・反逆のパターン
合計16問あり13問がイエスでした。(1/3以上がイエスだと要注意だとか)
私は、大人になり一人暮らしをしたり、一人旅もしていました。充分に自立しているつもりでした。
でも、家庭内の平和、母との関係を維持するために、母の口に出さないニーズを先読みして汲み取ることで安定を維持してきたのです。
チェックリストNO5
「毒になる親」の本の中でP57~P58の中にある以下項目のチェックリストをやってみました。
共依存度のチェックリスト 全12問
合計12問あり12問がイエスでした。(1/3以上がイエスだと要注意だとか)
私の母との関係は、すべてが以下3つの衝動に基づいていました。
●母が私を全く愛していなかったこと、どうでもいい存在だったことを認めたくない、知りたくない
●私が子供時代家庭が貧しく、父に共依存だった母をかわいそうに思いこれ以上不幸にしたくない
●母の役に立つことで愛される存在になりたい
共依存関係
母と父の共依存
母親は父親との関係にどっぷりつかっていて、多分それは共依存と呼ばれている関係だったんだと思います。(素人判断ですが多分そうなんだろうなと思います)
夫に尽くす昭和的で超献身的な妻といった感じで、はたから見ると理想の夫婦に見えたでしょう。しかし母親は父親との関係にしか関心がなく子供の心は蚊帳の外。
私は透明人間に
私は全く興味を持ってもらえず独りぼっちで両親にとっては透明人間でした。そのため自己評価も低く、自分がどんな人間かもわからないまま大人になりました。
私は小学生のころから母に学校であったことを話さない子でした。だってどうせ聞いてないからです。
生き地獄のような生活を強いられ中学でかなり深刻な問題を抱えたのに親は全く気が付きませんでした。病的な父親と一緒に住む子供がどのように苦しんでいるのか母は当然全く気が付きませんでした。
母と私の共依存関係
私は20代中頃から30代後半まで一人暮らしをしていましたが、本当はもっと会社の近くに住みたかったのに、母の希望で実家近くの駅のアパートに住むことになりました。
一人暮らしなのになぜこんな会社から離れたところに住まなくちゃいけないんだろうと思いました。もう少し都心に住みたい。そうすると母は「心配なのよ!!」と言うのです。
私は母の機嫌を取るために、家族の平和を守るために我慢していたのです。
自分の子供時代も不幸ではありましたが、貧しい中ずっと内職をしていた母をかわいそうに思うのです。
そのため私の母への行動は2つが原動力になっていた気がします。
●母をこれ以上不幸にしたくないと思い、自分を犠牲にして頑張ったり、ニーズを先読みして叶える
●母親に役に立つことで、母親に愛されたい必要とされたい
子供のときから40代後半の今になっても、母親が自分に全く関心がないことが証明されるのが怖くて気を使い、私が母親の心を満たさないといけないと思いバランスを崩さないように生活してきたんです。
母は私にとって私を産んだ命の源だからだ。ここの信頼が崩されたら私が全くの孤独だったことに気が付いてしまうから。
そして気が付いたことがあるんです。姉には3人の子供がいて一番下の女の子が私の言動にすごくそっくりなんですね。
最初は、末っ子だから私と性格が似ているのかなとも思っていました。でも違うかもしれません。
姪もまた母に本当の意味で関心を持ってほしくてわざと強気に出たりするんだと思います。「ママ聞いてる?」そう思っているのでしょう。もちろんママは聞いています。耳では。
でも心では聞いていないんですよね、共感はできないのです。それが私たち家族の血筋だからです。
まとめ🖊️
本当に、家族って何のためにあるんでしょうね。。家の場合はなんだか家族ごっこをやっていた感じがします。
真実を知るのはシンドイかもしれませんが、真実を知らないでそのままごまかしていきるのは自分の未来を犠牲にしている気がします。
私の家族は、やはり「いるだけ無駄」でした。苦労ばかりの子供時代、生き地獄のような日々。
30年以上かけてようやく「普通」にたどり着いた。
なぜこんなに努力して、やっと平均なんだろう。そう思うとき、やっぱり私は…
家族なんて、いない方がよかったんだと思います。
ダメな父親に尽くしてきた母親は共依存だとは分かっていました。
しかし今更ながら私自身もまた「かわいそうな母親」を支える共依存者だった。私は母に役に立つことで愛されようとしたのかもしれません。


